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誰のものでもないWeb

この記事は個人ホームページ訪問 Advent Calendar 2024 18日目の記事です。

このブログについて

なぜこのブログをつくったかあまりおぼえていないのですが、例によって Twitter がイーロン・マスクに買収されて、「コンテンツが自分のものではない」状態に苦痛を覚えたのがきっかけだった気がします。
デザインはもうちょっとどうにかしたいなとおもいつつ、めんどくさいしいいか...とそのまま放置しています。ちょっとずつ修正していこうとはおもっています。

このブログは、自作のフレームワークを使ってHTMLを生成し、生成ファイルを Amazon S3 に配置、CloudFront を通して配信しています。入稿データはマークダウンで、GitHub のプライベートリポジトリで管理しています。main に push したら GitHub Actions でファイルを生成して S3 に配置する、みたいな感じです。

今年からアートスペースをはじめたのですが、ウェブサイトは同じ仕組みでつくりました。
https://space-nobi.net
こちらはいろいろ考えながらつくって楽しかったのですが、「阿部寛のホームページより早い」ことを目標にしていました。そこまでではないにしても、余計なリソースを食わないようにいろいろ気をつけてはいます。Google Analytics も入れていません。重いページはそれだけでも利用者にとってデメリットだなと感じます。

自作フレームワークをつくること

今回、自分でHTML生成用のフレームワークみたいなものまで作ったのですが、フレームワークといってもそんな過剰な作りではなく、単純にマークダウンをHTMLに変換する装置がほしかっただけで、それにちょっとした変数処理などを追加しています。やりたいことに対してなるべく過不足ない作りにしています(コードは酷い作りですが、まあ自分しか使ってないし...)。

業務で Ruby on Rails だの Nuxt だのといったフレームワークを使っていると、更新がとにかくめんどくさく、そんなのつきあってられねぇ...という気持ちにいつもなっています。依存が増えれば増えるほどがんじがらめになって更新が難しく、放置してはいけないのに罪意識を抱えながら放置することになります。自作フレームワークに存在しないのはEOLで、自分のペースで更新すればいいだけだし放置していてもなんの問題もありません。依存は markdown パーサーと開発用のファイル変更検知ツールだけです。後者の chokidar はバージョンが上がって依存が一つだけになりました。chokidar作者も強い意思をもって依存を排除したようです。わたしの自作フレームワークでは node_modules の配下に4つだけディレクトリができます。フレームワークは個人が使うには重すぎるもので、自作するくらいが管理できてちょうどよいと感じます。

WWWは、30年もののHTMLが平気でレンダリングできてしまいます。ウェブは変化が激しいようにみえて、めちゃくちゃ後方互換性があります。フレームワークなんて5年もつかえないのに...。静的HTMLのコアの部分は放置しておいても腐らない、腐るのは依存なのだとおもいます。

誰のものでもないWeb

Web2.0的なウェブではサーバーサイドプログラミングが発展しましたが、サーバー管理のめんどくささやプログラミングの複雑化から、そういうものをまるっとサービス化して代替する(ユーザーから隠蔽する)ことは、ここ20年の技術的なトレンドだったのかなと、振り返ってみればおもいます。みなさんご存知のとおり、そういった技術トレンドと並行するかたちで巨大資本による一極集中的なウェブができあがってきたわけで、そのひとつの象徴としてイーロン・マスクによるTwitter買収劇があったのかなとおもいます。アメリカ大統領選で力を持つまでになってしまったのですが、リソースが一極に集まってしまうと、そこを抑えてしまえばいいという、気付けば脆弱な世界になっていました。

そうした振り返りのなかで、このアドベントカレンダーのように素朴なHTMLによる情報配信を好む人がでてきたり、分散型SNSの登場があったりして、Webというものの本来的な分散性がまた再考されるタイミングでもあるのだろうなとおもうところです。誰のものでもない World Wide Web になるとよいですね。