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他者との出会い損ね --「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」のこと

横浜美術館「おかえり、ヨコハマ」展を見にいったら、百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」が上映されていた。

この作品は2013年に百瀬の修了制作として発表されたものである。作者の百瀬は武蔵野美術大学でわたしの先輩にあたり、この作品は当時見ている。「おかえり、ヨコハマ」展は横浜を主題とした展示だが、たぶん撮影場所である木下さんの家が横浜であったためラインナップに入っているのだろう。

2013年当時、この作品はたいへん評判になり、わたしもかなりの衝撃を受けた。上映中に、自分のなかから湧いてくる感情があり、目の前が真っ暗になったことを覚えている。作者に対してかなりの長文メールを感想として書きつづった。そのメールを読みなおすと当時の自分の混乱した感情がそのまま刻印されている。強かった感情は怒りである。

以下、記事中の人名に「さん」がついていたりいなかったり不統一であるが、何度書きなおしてもみてしっくりこないため、不統一のまま進めることにする。木下さんとも一度お会いして会話しており、表記には個人的な距離感があらわれていると受け取ってもらって構わない。

「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」のこと

タイトルの「聞こえない木下さん」とは、木下知威さんという研究者の方で、生れつき耳が聞こえない。作者の百瀬が木下さんに「声」についてインタビューするという体裁の映像である。
木下さんの業績については、以下を参照されたい。

https://researchmap.jp/tomotake/

木下さんは聴覚による音の聴取ができないのだが、口話教育によって読唇による「声」の読み取りができる。普段は、筆談か手話による会話がメインだとおもわれるが、本作では、百瀬の要望によって木下さんも声を出して喋っている。なお、失礼ではあるものの一筆すると、本作中の木下さんの発音は、字幕を隠して聞いてみればおそらく聞きとりは困難であるとおもわれる。

百瀬によるインタビューはつつがなく進行しているように見える。「たまごとタバコのように、唇の形が似ていても違う単語があるがどうやって聞きわけるのか」といった質問をしている。木下さんは文脈を補足して推測すると返答する。インタビュアーは、たまにあやしい発音で喋りはじめ、字幕には「わたし」とあるが「ばだぢ」のような発音がはいりこむ。次第に、百瀬の発音は完全にデタラメになって、字幕と完全に乖離し、最終的には無音になり、口パクだけで進行する。だが、木下さんはなお百瀬の唇の形を読みつづけ、発声をつづける。字幕も正常に展開しつづけている。そうして、なにごともないかのようにインタビューはおわる。

作品の概略は、このようなものだ。

12年も経過してみれば冷静に記述できるものだが、作品を見た当時は強い感情があった。インタビュアーの百瀬が無音になったところで、わたしの目の前は真っ暗になった。耳が聞こえない人を騙し討ちしているようでもあるし、また、晒しものにしているような映像でもある。許し難いとおもった。

わたしは百瀬を批判しようとおもって感情を宥めつついろいろ考えていたが、まずそんなに単純な意図であろうかと疑問になった。しだいに、木下さんがこの構造を知らないはずがないという確信が芽生えてきた。そうであれば、二人してこのような悪意ある構造を選んだ理由はなんだろうか?作品が意図に還元できないということに留保は必要だが、とくにこの作品において意図の問題を閑却するわけにはいかない。そもそもこの作品は、木下さんを「耳が聞こえない」という理由でインタビューして、その「耳の聞こえなさ」を強調するものであって、作者の意図の如何によらず差別的であるという批判は免れようがない。しかし、制作に長く向きあった作者がこれほど自明なことがらに自覚がないとはおもえない。わたしには、この作者の自覚の内実をはかる必要があるようにおもわれた。

当時、作者に宛てたメールを一部抜粋する。

「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」は一見、このドキュメンタリーの構造に乗っ取っているかのように見せかける。いや見せかけるのではなく、ちゃんと本当に聞いている。耳が聞こえる人にとって耳が聴こえない人の世界は未知である。私達の知らない聾者の世界。
この「私達にとっての未知の世界」はいつのまにか「私達にとっての既知の世界」にすりかわる。「私たちの知っていること」とはいうまでもなくここに映し出される聾者の耳は聞こえない、ということだ。私達はいつの間にか彼の「話を聞く」立場から、彼を一方的に「眼差す」ことになる。
(...)
おそらくは木下さんも君の共犯者なのだろうと思う。鑑賞者のもつこの決定的で絶対的な優位性を木下さんが知らぬわけがない。おそらくは見返されているのは我々の方なのだ。

本作はドキュメンタリーの体裁をとっているが、台本が存在する。本作において、ドキュメンタリーという形式は「鑑賞者にとっての見かけ上の真実らしさ」の演出のために採用されている。わたしは作者にあてたメールで、この形式の採用が、「木下さん」を「聾唖者」として客体化し、表象として扱っていると指摘している。聴者としての鑑賞者はすべてを把握しているが、映像中の「木下さん」にはあきらかに欠損した情報があり、それが鑑賞者にむかって開示されている。彼の知覚は、鑑賞者の視線によって、いわば一方的に覗きみられている。鑑賞者と「木下さん」の関係の非対称性は、あきらかに作者によって意図されている。

作者は、「健常者」による眼差しの差別性、暴力性を告発するために本作を作っている。わたしはそのように理解した。「見返されているのは我々の方なのだ」と書いたのは、わたしが作品意図のうちに鑑賞者にたいする攻撃性を見出し、そこに作者の悪意があると認識していたためでもあった。作者から鑑賞者に宛てた「悪意」はたしかにあるが、わたしが木下さんを百瀬の「共犯」に仕立てあげているのはあきらかに浅はかだった。わたしは作品の構造を理解し、その裏にある意図を把握することで、ある意味で安心してしまった。

あとで明確に理解することになるが、二人は「作者」とよばれる一枚岩的な主体ではないし、作中で会話が成立しているように見せかけつつすれちがうように、二人の意図も実際にすれちがっている。10年以上たった今も本作品がわたしに奇妙なほどの抵抗感の印象を与えるのは、この作品が実際に作者の意図などというものを越えてしまっているからだ。

知覚の多様性と「声を剥がす」

12年ぶりに本作品を見て、なにか新しい発見があったということはないのだが、鑑賞後にあらためて周辺情報を見ることにした。この作品は何度も上映され、作者や木下さんを交えたインタビューなどもある。特筆すべきは2020年に行われた「萌えいずる声」であろうが、このイベントには残念ながら伺うことができなかった。

しかし、2023年に滋賀県立美術館でおこなわれた「アートと障害を考えるネットワークフォーラム」での木下さんと百瀬の対話は、そもそもの作品の背景を知るのに必要な情報を得ることができる。

このフォーラムで、百瀬は制作の背景にあった重要な思考を開示しており、それは端的に「音声中心主義」への批判としてまとめられる。百瀬は木下さんの部屋にインタビューに行ったとき、彼の部屋にスピーカーがあったことへの驚きを語っている。彼は、スピーカーに触れて振動としてクラシックのCDなどを聴いているのだという。このエピソードは、聴者である百瀬の「音楽を聴く」ことの固定観念を壊し、「音」という事象の多面性を開示するものとして重要だったという。声にも「音声」ではないあり方がある。作品中でも、木下さんにとっての「声」は唇や歯のイメージとして想起されると述べられている。また、字幕や文字は、木下さんにとって「声」の形であるばかりか、聴者が字幕を頼りに外国映画を見るときに字幕は声の役割を果たしている。声という現象は本来的に多様であって、声の本体を「音」だと考える「音声中心主義」は、この多様性を見えなくしている。「音/声」という事象の多様なあらわれは、聴者のリアリティだけで構築されているわけではないのである。わたしが作品を見た当時考えが及んでいなかったのは、まさにこの「知覚の多様性」という視点だった。

作中で、重要なキーワードに「声を剥がす」という言葉がある。これは、木下さんが2009年に書いた論文の題である。タイトルは「声を剥がす--聾の想像力」である。以下のURLからpdfをダウンロードできる。

共感覚の地平 : 共感覚は共有できるか? : 表象文化論学会第4回大会パネル記録集

詳細は本論考を読んでいただくとして(是非読んでいただきたい)、この論考は口話教育を受けてきた聾唖者としての木下さんの知覚の分析・報告である。論考の最後はこのようにまとめられている。

音を「見た」と形容するというよりは自分の身体から声を剥がしているという表現が相応しいように思われる。まとめていえば、聾の身体は自ら発声しても、それを自分の身体から引き離すことができない。ゆえに、わたしはなにかと対峙したときに、その世界に入り込むために自分の身体から声を剥がすという行為をおのれに求めている。一生、おのれの耳で音をきくことはないであろう身体からすれば、耳で聴くことは夢や想像の世界でしかなく、自分に寄り添おうとする声を引き剥がさなければ、耳で聴くことを想像することができないからである。

聾唖者の「発声」は、自ら聴くことができない音を発すること、つまり無音の世界から有音の世界へ投げ込みをおこなっている。通常、聴者が発声できるのは自分の声を聴くことができるためであるが、聾唖者における発声の問題は、「聾の身体は自ら発声しても、それを自分の身体から引き離すことができない」こと、つまり自身の声が喉に留まっており耳からフィードバックとして受けとることができないことにある。木下さんの以下の言及を参照しよう。

口話教育における発音練習で口の動きを見ながら発声するが、鏡を必要とする。そうして口の形を覚える、というのが目的だとされているからだ。鏡を使わないと自分の口の形が見えないから・・・ではない。そうではなく、鏡を使わなければ自分の声を剥がすことができないからである。
https://www.tmtkknst.com/2020/02/17/after_a_voice_passed/

聴者はこのような訓練を積まなくても自らの発声を自分の耳でフィードバックとして受け取り、それをコントロールすることができる。「声を剥がす」とは聾唖者が聴覚ではない回路でこのフィードバックを受けとるために必要な仕組みだろう。これは聾唖一般の知覚ではないはずで、第一言語として手話を習得した場合、視覚による表現は視覚によるフィードバックを受け取ることができるため、「声を剥がす」ことが必要になるのは口話教育を受けてきた場合であろう。

作中で、百瀬は「声をどうやって記憶するのか」という質問に対し、木下さんは「唇の形や歯並びとして想起される」と答える。たしか、百瀬がこれに対して「声が剥がれるみたい」というようなことを返していたと記憶する。本作において「声が剥がれる」とは、最終的には字幕と身体的な発声が乖離した状態の示唆として利用される。無音において「どこかここではない場所で私の声も木下さんの声も響いている気がする」と百瀬が発言するのは、聴者と聾者の「声」が「剥がれた声」としての字幕において響きあっているという示唆になっている。それに対して木下さんは「肌を重ねれば響きは伝わるかも知れないが、私のなかではなにも響いていない」と冷たく返すのは秀逸というほかない。ここまでは台本であるはずで、「どこかここではない場所」とは「剥がれた声=字幕」による聾者と聴者のコミュニケーションが成立しているかのように見える場のことで、それは鑑賞者の目撃によって成立する場であるが(作中の二人は字幕を目撃していない)、「何も響いていない」という拒否はこの場の出現が失敗していることを物語っている。

だが、ここまで了解してもなお「声が剥がれる」とは都合のよい解釈であると感じる。「声を剥がす」論考を読むかぎりでは、聾の身体にとって声は自動で剥がれるようなものではなく、「話す」「聞く」という営みにおいて努力をもって「剥がす」必要があるもののように思われ、「剥がれる」という受動的なありかたは記述されていない。この能動から受動への書きかえは、作中において微妙なステータスを担っている。というのも、ここで百瀬は一人の男性に口元を見つめられ、女性であることを意識しているような演技をしている。百瀬にとって「声が剥がれる」ことは、口が眼差され、その形がイメージとして残存するものであれば、男性の眼差しによる性的な対象化という含意をもたらしてしまう。そこから、木下さんの「肌を重ねれば」という発言はこの想像を補完するように感じられる。実際、椹木野衣は美術手帖でのレビューで本作品を性交のメタファーとして読んでいる。椹木氏は、作中に埋め込まれた百瀬のマニキュアのショットをもってこの議論を補強するものとしている。本文を引用しておく。

本作でもっとも印象的なのは、木下さんに八重歯の魅力を指摘された作者が、終始、口唇を凝視され続けていたことに気づき、恥ずかしそうに口を締める場面であろう。また木下さんが、聞こえない声も、もしお互いが抱擁すれば、意味は伝わらなくても響きとしては伝わると告げるとき、画面を観る者は、自己抑制しつつも、すでにふたりを抱擁させている。作者の爪に施された真っ赤なマニキュアの不自然なアップが、それを追認する。

わたしには信じがたい読解であったが、マニキュアによって追認されるような性的妄想というものがあるとすれば、それは百瀬が仕掛けたトラップである。つまるところ百瀬は、木下さんの読唇による凝視を性的眼差しに置換し、女性として眼差される客体としての自己を演出している。ここでは、「声が剥がれる」という言葉は、眼差しによって主体性が奪われることに置き換わっている。これはかなり悪意ある演出であり、「声を剥がす」を「声が剥がれる」と変換することにおいて、「木下/男性/主体」対「百瀬/女性/客体」という構図をつくりだす。これは本作にまつわる誤読の形態の一つであるが、作中の話で木下さんがテレビのアンテナをいじってノイズをなくそうとするように、ノイズを消去した解釈である。それゆえに椹木氏は「肌を触れあえば」を「抱擁すれば」とするしその後の「何も響いていない」という否定を読み落とすのである。むろん、性的妄想であろうとなんであろうと、この作品において、鑑賞者が安心して見ることができるような位置は用意されておらず、マニキュアによる「追認」とは、作者の意図の推認・理解によって自らの位置を安定させるためのものであり、わたしがそうだったように「理解」によって安全を得ようとするものである。

しかし、この「男性の眼差し」主題によるインターセプトによって見えなくなるのは、聾の知覚であるとしたらどうだろうか。この作品では、コミュニケーションの手段として、筆談でも手話でもなく、敢えて口話という形式を取らせる。聾唖教育の歴史を記述するような知識をわたしは持っていないが、口話は音声日本語を第一言語とすることで(手話などではなく)、聴者の知覚を規範化しつつ、聾者に強い負担がかかることは疑いようがない(念のため書くが口話教育は差別的だという主張をしたいわけではない、この問題は言語獲得に関するかなり複雑な問題があり、筆者の手に負える問題ではない)。本作品で聴者と聾者のあいだに不均衡な関係ができあがるのは、口話という形式に依存しているためである。これは聾の身体の知覚の開示をつうじて音の多元性をあきらかにするようなことはなく、むしろ「聴者の想像する聾者の知覚」を強調しているのである。「聴者の想像する聾者の知覚」とは、つまるところ「聾者は聞こえない」ということである。無音において聞きとりつづける木下さんの姿は、この「無音」の強調において、まさに「聴者の想像する聾者の知覚」となっている。映像の作用によって、木下さんは聴者にとっての聾者=他者として構成されている。百瀬はマニキュアによって眼差しの客体としての女性を作り出すように、無音によって眼差しの客体としての聾者を作りだす。だがここで客体化される聾の身体は、木下さんが「声を剥がす」論考において詳細に記述した、口話教育を受けた聾の身体の知覚とはかけ離れている。聾唖者の発声が無音の世界から有音の世界への声の投げだしであり、それゆえ音を視覚などに変換することが「声を剥がす」ことであるとするならば、百瀬はこの流れを逆に辿って有音から無音の世界に向う。これによって発生するのは、視覚・聴覚・字幕がすべてバラバラに機能するようになることで、聴者の知覚はずたずたに引き裂かれることになる。この引き裂きが無音を通じて遂行されることによって、聾者の知覚はこのようなものだというメタメッセージを発してしまう。「声を剥がす」ことが、無音と有音の断崖を跳躍するために要請されるものであり、複数の感覚を動員することで協働的に行われる知覚であれば、「声が剥がれる」とはまさしく逆の引き裂きを行なう。それは有音と無音のあいだに横たわる断崖を現出させ、その崖の向こうに「聾」を閉じ込める。聾者の本作への感想をいくつか読んだかぎりでは、もっとも体験できていないのはこの知覚の引き裂きであるとおもう。彼らには音の聴取がないのだから無音が認知できるはずがなく、字幕と映像は統合を保ったままになる。人体解剖が生命の創出と無縁であるように、聴者の知覚の解体から聾者の知覚が現出することはない。「声を剥がす」から「声が剥がれる」への変換は、聴者による一種のアプロプリエーションで、「何も響いていない」という拒否はこのアプロプリエーションへの拒否でもある。何も響かないからこそ「声を剥がす」のだ。

聾唖のサクリファイス

2013年にこの作品が公開されたとき、木下さんは本作についての情報を積極的に収集し、また本人から発信もしている。とくに、 togetter (現 posfie)での情報の収集・アーカイブには異様な執念がある。
https://posfie.com/@sourd/p/sNfy3s4
作中人物によるアーカイブへのこの強固な意思は、作品をその内部に閉じたものとして鑑賞することを許さず、間テクスト的性格を与えている。こういったパラテクスト群は読むだけでもうんざりするような量があるが、作品が作者の手を離れて変転する様を刻印している。しかし、そのなかでもやはり出演者にしてアーカイブの形成者である木下さん自身の存在感はきわめておおきい。

作品の公開がひととおり終わった2013年の4月に木下さんが書いた記事は、本作品を見るにあたって、ぜひ読んでほしい。声を聞かれることの思い出について触れられている。

百瀬さんからの依頼は手紙で受けた。それは北村紗衣さんから依頼されて書いた「声を剥がす」に対する考えと、彼女がこれから作りたい作品の原型が書いてあった。それに同意したわたしは渋谷のカフェで百瀬さんに会った。そして、彼女はこんなことを身振りも伴いながら言った。「声を出してくれませんか」と。そのときに思い出したのは、子供のとき、わたしの声を聞いた他の子供たちのなかのある反応だった。

「へんな声しているな」

「おまえは日本人か」

「もっとちゃんと声を出してみろよ」

わたしの声を真似してからかう同級生もいた。
百瀬さんのその行動は、その忌まわしいともいえる思い出がわたしの前に立ち上がってくるのに十分なものだった。その思い出を両手で振り払いたいあまり、その場で椅子を蹴って「申し訳ないけれど、この話はなかったことにしましょう」と百瀬さんに言うこともできた。というか、そうしようと思った。わたしはフッと左に座っている百瀬文の目を見た。あの子たちとは違う・・・人を見る目だった。

わたしは彼女の依頼を引き受けることにした。

木下さんは、百瀬の提示する作品の構造そのものには関心をもっても、口話を強いられることに対して「その場で椅子を蹴って」断ろうとしてしまうほど、かなり強い拒否感がある。この記事は書かれた当時に読んでいて、わたしは強い印象を受けたが、いまに至るまで、ここでどのような問題が指摘されているのかすら理解できていなかった。

このあたりの事情について、2020年に開催されたシンポジウム「萌えいずる声」の「聾唖のサクリファイス」という発表で語られていたようである。以下のツイートは、このイベント参加者によるレポートである。

木下氏は説得を受け、聾者の立場としての(社会に対する)『一種の怒り』を覚え、怒りを歴史研究者として資料に残す決意をする。撮影当日、百瀬氏が『聞こえない木下さん』撮ろうとした中、木下氏は『聞こえる木下さん』を求められているように感じ、どうすれば聾者としての自身を捨てられるか考えた。
https://x.com/toshiyoo/status/1226465972099239936

わたしは、このツイートを発見し、長年喉に刺さった小骨がようやくとれた感覚をおぼえた。映像のなかで、木下さんはなにひとつ表出しないが、ここには「聾者の立場としての怒り」がある。

「聾唖のサクリファイス」について木下さん自身の定義はつぎのとおりである。

関連する映像や文献を確認してみると、ろう者や唖者が声による発話を獲得するときにカタルシスが起きていることを確認できるが、そこには「サクリファイス(sacrifice)」があるのではないか。要するに、聾唖という話すことのできない状態と引き換えに発話のモードを獲得する過程を聾唖のサクリファイスと定義した。それは一方通行であって、元に戻ることはできない(アガンベンでいえば、インファンティアを通過した状態である)。
https://www.tmtkknst.com/2020/02/17/after_a_voice_passed/

つまり、「聾唖のサクリファイス」とは、口話を獲得することによって聾唖の状態が犠牲にされる(sacrifice)ことを意味している。この状態は、聴者から見た「聞こえる/聞こえない」という恣意的な区分によって聾の身体を「聞こえない」身体として定義し、この「聞こえなさ」を克服する手段として、擬似的に「聞き、喋ることができる」身体に仕立てあげることによって成立する。

「声を剥がす」論考で、木下さんは「言語をものにする時間の狭間」にアガンベンの言う「インファンティア(幼児期、言語活動を持たない時期)」があると言い、これを言語習得以前の心理状態のことではなく、「人と言語における裂け目」だと捉える。「声を剥がす」とはこの裂け目を前にして跳躍することであり、木下さんはこれを口話教育を受けた聾唖者の知覚として報告している。聾唖者が声を発することは、自分が聞くことのできない音声を世界に放り出しているのであり、「人と言語における裂け目」の意識が絶えず存在している。「聾唖のサクリファイス」が「インファンティアを通過した状態である」とは、この裂け目がすでに存在せず、したがって聾唖の知覚も存在していない。

「聞こえない木下さん」の表象をつくりだすために「聞こえる木下さん」を演じなければならないこと。この矛盾した二重の表象の下に、聾の声は犠牲になり沈黙している。木下さんは、「聞こえる木下さん」を「演じる」こと、つまり実際には・・・・「聞こえる木下さん」ではない・・ことを通じて、「聞こえない木下さん」の表象を成立させている。「聞こえない身体」として定義される聾の身体は、聴取の失敗を通じて、つまり「聞こえる木下さん」が演技であることの暴露を通じて、定義どおりに振る舞っていることが確認される。この映像ではわたしたちは「知っていること」と表象が一致することを確認してしまうことになるのだ(だが本当に聴取は失敗しているのだろうか?無音における聴取も一つの聴取ではないだろうか?)。

ここで、スピヴァクが分析した、自殺したインドの寡婦のことを想起するのは不当なことだろうか。ある時期のインドでの寡婦の自殺は、高潔な精神をもって主体的におこなわれた自殺だったとされるか、それとも強制された行為として主体を奪われた自殺だったとされるかの矛盾した表象を与えられる。この二重の表象はサバルタンの沈黙のうえに成り立つ。この沈黙の声を聴取するに際して、スピヴァクは unlearning忘れ去ること が必要だと述べる。この作品を見る鑑賞者が必要としている態度もまさに unlearning忘れ去ること なのではないだろうか。 unlearning忘れ去ること には、「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」が百瀬文という作家の作品であることだったり、「聞こえないとは音がない状態のことだ」ということだったりも含んでいる。既知の知識を解体してみなければ、サバルタンの沈黙から言葉を聴取することはできない。わたしたちはつね日頃から、そうして他者と出会い損ねているのだ。

以下の引用は、木下さんが、上映をはじめて見たあとに書いた感想記事の冒頭部分だ。

最初に話しておきたいことがあるのだけど、この上映の紹介について。
百瀬さんのサイトにある、上映の紹介ではわたしが身体検査結果の書類を指差している部分がトリミングされている。サイトでもうっすらと文字が判読できるが、これはわたしの耳が聞こえないという医学的な証明書。
わたしの人生において、家族以外、誰にも見せたことがないんだよね。過去の恋人ですら、あの書類を見せる必要がなかった。見せなくても、耳が聞こえないことはわかったから。
でも、あのようなトリミングによる上映の紹介のかたちで、わたしへ降り注いだ医学的な眼差しが、一気に見知らぬひとたちの目に曝された形になった。

あなたはいきなりこれをもってきたのか。思わず、呻き声とも怒りとも苦笑ともなんともいえぬ声を出してしまった。自分の胸に秘めていた、何かが一気に見られてしまったような気持ちがしたから。それはわたしの身体に聾ということへの恥ずかしさなのだろう。「耳が聞こえないことは恥ずかしいことだ」という間違っているとしか思えない価値観や眼差しを受けとめていたことを思い出したのかもしれない。この紙切れによって、わたしはおのれの身体の内部を曝け出されている。
・・・これを最初の案内に出すとはね。
https://tmtkknst.com/LL/blog/2013/01/19/%E6%84%9F%E6%83%B3%e3%80%80%E2%80%95%e3%80%80%E7%99%BE%E7%80%AC%E6%96%87%E3%80%8A%E8%81%9E%E3%81%93%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9C%A8%E4%B8%8B%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%84%E3%81%9F/

「呻き声とも怒りとも苦笑ともなんともいえぬ声」はどれだけの人に聞こえたのだろうか。この声は沈黙なのだろうか、それともなにかを語っているのだろうか。

医学的な定義としての「聾」の開示と、口話で語らせること。作者がどれだけ自覚的だったかはわからないが、この要素の選択によってこの作品は聾唖教育の歴史そのものを反復している。木下さんが「聾者の立場」を自覚せざるを得なかったのは、はからずも聾唖教育の歴史が再演されることになり、自身の歴史的立ち位置を自覚せざるを得なかったためであろう。彼は歴史家として歴史を客観的に見るというよりむしろ、歴史的主体として「聾者の立場」を実存的に引き受けているのである。

百瀬が聴者を鑑賞者として据え、その音声中心主義を糾弾しようとするのに対し、木下さんは聾唖の表象の歴史に本作を位置付け再配置する。二人は共犯者というような関係ではなく、この作品の主導権をあらそいあう複数の主体である。作品は、そのような複数の意思が競合する場として存在している。木下さんが膨大なパラテクストを収集し、生産するのは、ともすると作者を中心として組織される芸術作品というものに抵抗し、その中心をズラすための戦略として機能する。木下さんのテクストが「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」のパラテクストであるのではなく、「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」こそが聾唖の歴史にとってのパラテクストなのである。

出会い損ねること

2013年の上映がおわって数ヶ月後、わたしはタリオンギャラリーで木下さんとたまたまお会いした。
はじめてお会いするはずで、このとき木下さんがわたしを知っているはずがないから、たぶんわたしのほうから声をかけたのだろう。どういう流れでだったかおぼえていないが、「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」の感想について、わたしは百瀬に送った私信を木下さんに見せた。わたしは作品の理解の仕方に自信をもっていたが、その晩にはこのことを激しく後悔した。その私信を読みかえしてみると、聾唖者にたいする偏見に満ちた言葉が散りばめられていたのだった。

わたしは、言い訳に満ちた謝罪のメールを書いた。その後、木下さんからはかなり丁寧なご返信をいただいたが、メールを見直してみるとわたしは返信をしていなかった。なんと失礼なやつだろうか。10年以上経ってみても無礼は変わらないが、この記事をもって木下さんへのメールへの12年越しの返信とさせていただきたい。